猫しぐれ

猫好きには知られているであろう随筆がある。

[内田百間(ひゃっけん、もんがまえの中は“月”)]

ノラや

 

[内田百間]は[夏目漱石]門下の小説家·随筆家で、[黒澤明]の映画『まあだだよ』のモデル。

名前は聞いたことあったが作品を読んだこともなかったので、勝手に「頑固なじいさん」をイメージしていた。

ノラや』は昭和30年代の内田家にひょんなことから飼われだした野良猫[ノラ]と、その後に飼い猫になった[クルツ]のお話。

 

特に猫が好きだった訳でもないのに[ノラ]を飼いだし、わずか1年ほど過ごしただけ。しかし、その後[ノラ]は失踪してしまう。で、ご本人も自覚なかったみたいだが、いなくなったことで“狼狽”…もう、大狼狽である。

「明治の気骨」が昼夜泣き通し、尋ね猫のビラや新聞広告をだしたり、「似た猫がいる」の電話があれば夫人や近しい人に確認に向かわせたり、励ましの便りに「いつか帰ってくる」の望みを持ち…

日記の体(てい)で記された項は「思い出して泣く」「今頃どうしているのか」「失踪翌日の大雨が恨めしい」ほぼこんな感じ。「思い出すから」と[ノラ]のよく居た風呂にしばらく入らなかったり、「[ノラ]の好物だった寿司屋の卵焼きをとらない」など、もう…「じいさん泣きすぎやなぁ…」と呆れながら、読んでるコチラもポロポロ、いやもう、ボロボロ。

 

[クルツ]は[ノラ]に似ているとのことで構われだし、そのまま飼われた。おそらくは同腹のきょうだい猫と想像できる。数年過ごし病気で亡くなる。家族の号泣のなか看取られたのでまだ、幸せであっただろう(人間の勝手な思い)。

 

“完全室内飼い”なんて発想もない時代、“猫捕り”なんて職があった時代…自由に外を走り、ケンカをし、パートナーを求めた。太く短い“猫生”だっただろうが、今と昔、どちらが「幸せ」なんて僕にはわからない。

「ウチの猫たちは“幸せ”と感じてくれているだろうか?」

との思いを忘れさせない一冊である。

 

ほらやっぱり…[内田百間]は、“猫の魔法”に掛かっただけなのだ。