宇宙的みすゞ①

『大漁』

「朝焼け小焼けだ 大漁だ

 大羽鰮(いわし)の 大漁だ。

 濱は祭りの やうだけど

 海のなかでは 何萬の

 鰮のとむらひ するだらう。」

 

[金子みすゞ]の詩の中でも最も知られた作品のひとつでしょう。

浜は大漁のお祝いムードなのに、[みすゞ]の視点は海に残された鰮(鰯)に向けられる。“ガンッ”と打たれた気になる。このドラスティックな転回、小さなものに向ける眼が[みすゞ]の“美しさ”だ。

 

[西条八十]に薫陶を受け、童謡詩人として雑誌投稿を始める。七五調が多く、子供向けを意識したか、分かりやすい言葉で綴られ、それでいて、とてつもなく深い。

 

『蜂と神さま』

「蜂はお花のなかに、

 お花はお庭のなかに、

 お庭は土塀のなかに、

 土塀は町のなかに、

 町は日本のなかに、

 日本は世界のなかに、

 世界は神さまのなかに、

 

 さうして、さうして、神さまは、

 小ちやな蜂のなかに。」

この“拡張”と“収縮”。「宇宙からの視点」を感じ眩暈がする。イマジネーションのスケールをどう体得したのだろう?あの田舎町で…

 

山口県長門市仙崎…田舎の漁師町で生まれ育ち、結婚して下関へ、1女を授かる。結婚相手は放蕩者との説は正確ではないみたいだ。26歳で自ら命を絶った。

512篇の詩を[上山雅輔(本名·正祐、実弟劇団若草創立者)]と[西条八十]に残し、童謡詩人[矢崎節夫]が執念で発見し、全集を発行(昭和59年)するまで数十年のラグがある([みすゞ]の自死昭和5年、それにしても[西条八十]はなんで発表しなかったの?)。それでも、全集がでてセンセーショナルに広報されたかといえば、それほどでもなかったようだ。やはり、名前が知られるのは東日本大震災時の[ACジャパン]のテレビコマーシャルまで待たなければならなかった。

全篇を読んだ訳ではないし、史実は[今野勉]著『金子みすゞ ふたたび』に依る。いつか全篇を読みたいと思う。元々読書家でもないし、老眼と乱視で読書量も減ってきた。

そんな僕にも[みすゞ]は優しい。

“慈愛”とか“菩薩”とかの言葉が浮かぶ。

 

『私と小鳥と鈴と』

「私が両手をひろげても、

 お空はちつとも飛べないが、

 飛べる小鳥は私のやうに、

 地面(ちべた)を速くは走れない。

 

 私がからだをゆすつても、

 きれいな音はでないけど、

 あの鳴る鈴は私のやうに

 たくさんな唄はしらないよ。

 

 鈴と、小鳥と、それから私、

 みんなちがって、みんないい。」

 

 

On The Corner

楽器の電化は当然の流れ、ロックやファンク、現代音楽でも実験、実証はされていて、ジャンルのない[マイルス]もいよいよ取り掛かる。一部の石頭連中からは批判的だったが、そんなもん「So What?」だ。

[キース·ジャレット][チック·コリア]にフェンダーローズ(エレピ)を弾かせ、エレクトリックギター[ジョン·マクラフリン]を起用したアルバム『ビッチェズ·ブリュー』は衝撃的だ。地を這うバス·クラリネット[ベニー·モウピン]、祝祭的なパーカッションが、音楽の厚さ、熱さを盛り上げる。

フュージョン”の源泉的見方をされるが、全然違う。きっかけにはなっただろうが他の凡庸さ、軽薄さが浮かび上がることになった。

 

ここを起点に[マイルス]約5年の宇宙への旅だ。個人的には最高に好きな期間で、「音楽の全てがある!」と思っている。“エレクトリック·マイルス”と呼ばれ、自身のトランペットはエフェクトして歪み、パーカッション[ムトゥーメ]、エレクトリックギター[ピート·コージー]([サン·ラー·アーケストラ]に居たの?、[ジミ·ヘン]“が”追っかけしてたの?)の超個性をはじめ、“タブラ”や“シタール”のインド楽器なんかも混ぜて“カオス”を創出した。

日本公演『アガルタ』『パンゲア』のライブアルバムを残し一時引退となったが、「そりゃ、そーなるやろ」と思うほど超濃密な5年である。

 

ミストーンもあるし、音数が少ない…若き天才[クリフォード·ブラウン]と比較されたりと批判的な声も少なくなかっただろうけど、確信を持って“我が道”を進んだ。

「カッコいい“ニグロ”、“ニグロ”はカッコいい!」

「俺は黒人だ、だからどうした?」

「悔しかったら“ニグロ”になってみろよ」と…

 

曲がり角で迷ったらいつも…“マイルストーン”になる[マイルス]。

 

So What?

“「ニューヨーク、午前2時…何気なくピアノの前に立ち止まり、降りてきた旋律を…」

こんな感じでできた曲が『ネフェルティティ』だった。”

と、[ウェイン·ショーター]のインタビュー記事があった。が、曖昧な記憶なので正確ではないかも。

なんとも“カッコえー”シチュエーションですわな。

後日、夢を見た。同じようなシチュエーションで、僕がピアノの前に立ち鍵盤を押す…が、音が出ない…「あれ?」必死に鍵盤を叩くが出ない!ここで目を覚ます。

うーん…

“夢判断”では、僕の無意識は「音楽を辞めたがっている、きっかけを探している」ってことになる。そうだったかも…

 

後追いではあるが僕の中で[マイルス·デイヴィス]は“軸”だった。“ジャズ”にとどまらず、音楽全部の。

10年ごとに革命を起こし1975年頃、一時引退するまでは“超ヒップ”で、「音楽にジャンルなんてあるわけ無いだろう」と真理を吐く。

“モード”…最初は「なんのこっちゃ?」だったけど、カッコいい音だ。アルバム『カインド·オブ·ブルー』、コード進行、調性に捕らわれないインプロヴィゼーションの為の理論?ではあるが、そんなこと知らなくてもビ·バップ、ハード·バップの頃とは“音の薫り”の違いが感じられて楽しめると思う。以後のジャズは影響をほぼ避けられず、リスナーの耳も肥える。

そして“クインテット”期、スランプだった[ハービー·ハンコック]に贈ったアドバイス「バターノートを弾くな」も重要で、まあ、“バターノート”とはコードの和声の中のキーになる、厚みになる構成音とのことで、抜くことにより確かに“浮遊感”がでる。それでソリストの自由度が拡がり、バッキング陣も“踊る”。モダンジャズの究極の形が聴ける。この頃にリリースされたアルバムが『ネフェルティティ』だった。「緊張と耽美」の融合、これ以上どうする?

アンデスの星

またまた昔のテレビの話…

『おはよう700』だったかのタイトルで、そのいちコーナーに『キャラバンⅡ』というのがあった。それはたしか南北アメリカ大陸を車で縦断するというので、その立ち寄り、通過時にそれぞれの現地の音楽をBGMに使っていたと思う。南米アンデス辺りは当然、[フォルクローレ](あたりまえだが後に知る)で、それがすごく聴きたかった。意識して聴いた音楽のいちばん古い記憶。

[サイモン&ガーファンクル]の『コンドルは飛んで行く』は有名だが、現地のものではなくまったくのオリジナル、アンデス風。しかし、良くできた曲だ。もうひとつ[フォルクローレ]の定番は『花祭り』という曲で、これは現地曲。“チャランゴ”(ウクレレ風の弦楽器)や“ケーナ”(笛)で演奏されることが多い。ただ、観光客相手にし過ぎて、やや残念な調べに…こんなんあるよね。

[フォルクローレ]とは英語にすると[フォークロア](民謡)とのこと。アンデス民謡はペンタトニック(5音音階)で、日本と同種。また、インディオのルーツがモンゴロイドということもあってか、子供心にもなんか響いたということはあるかも…と、面白がっている。

 

アルゼンチン出身の[アタウアルパ·ユパンキ]という人、“フォルクローレ”とカテゴライズされるが、ちょっと違う印象だ。ギターの弾き語りが主で、アンデスの民謡を下敷きにオリジナル曲を歌う。しかし決して曲の形式を弄ったり、変えたりしない。歌声は“素朴”そのものながら、深く濃い。歌詞は農民や牧夫の心情であったり、アルゼンチンの自然を歌ったものがほとんどで、人生の後半はヨーロッパに暮らした(政治的迫害?)が、全然プロテストシンガーではない。

弾き語りの相棒、ギターがまた素晴らしく、クラシックギターの下地があって、ハーモニーをプラスしたうえで、随所にカッティングでリズムを着ける。そしてあの声がのる。これが単に伝統踏襲だけではない、ユパンキの唯一無二なところだ。

[民謡+クラシック]は大抵うまくいかないが、ユパンキは越えて独自の世界を築いた。[エリック·サティ]と並び僕の音楽最高神だ。シンプルで複雑、聴いていると何かに包まれているような“憩い”を感じる。

[アタウアルパ·ユパンキ]

英米ではほとんど知られていない。日本では『人類の遺産』として8枚組のCDなど発売されている。

[ユパンキ]のCDを「全部買いだ」と意気込んで買ったもののなかには(輸入盤)“ポエトリーリーディング”(詩朗読)ものもあった。で、これはさすがにキツいか、よくチェックしてね。今の人はそんなことないか。

客は神か泥亀か

小学校に上がる頃だったか、『唄子·啓介のおもろい夫婦』という番組を視ていて(子供にしては遅い時間)、僕が[鳳啓介]のボケを真に受けて「アホや」みたいなことを言ったらしく(この辺の記憶が曖昧)、それに対するオトンの一言…

「ホンマは賢いから“アホ”なことが言えるんやで」

ここははっきり覚えていて、「あ、そーか」と妙に納得した。

それから“お笑い芸人”に対するリスペクトを持つようになった。

「笑わせる=賢い」

“賢い”は「勉強ができる」ではなくて「地頭が良い、場を、空気を読む」のニュアンス。

 

「末路あわれは覚悟のうえ」

の芸人稼業、馬鹿にされ、蔑まされて、それで飯を食っていた(河原乞食)。それにしても、客となる庶民の悲しい自尊心の不変なことよ。叩いても咎められない…惨めな自分より下の、そんなものを探して。

“芸能”に向けられる「侮蔑」と「尊崇」、このアンヴィバレントな感情が、芸能人に特別な位置を与えることに。オーラを纏う。極めた者はお国から表彰されるまでに(人間国宝文化勲章など)。逆にアホウな生きざまを晒し、または滲みでて人気を得ることもあり。まったく何が売れるかわからない、まあ庶民の気まぐれなこと。自分には無い、できない芸能者の振舞い、営みを驚愕して…

今や“カリスマ”や“天才”が乱造されて、ましてや“神”までもがひょいひょい登場し、もしそうならばもはや新時代的であり伝統が霞むのも仕方ない。

「昔が良かった」と簡単にいうつもりはないが、現“お笑いのカリスマ”は退場したままで、薄いカリスマを無理矢理?貼られ過ぎて、それが足枷になっているようにみえる。誰かがカリスマや天才を操っているのでしょーかね?

 

「責任者出てこーい!」

「出てきたらどないすんねん?」

「ゴメンちゃい…」

 

チャンチャン。

シネマグラフィティ②

さて、まりりん…じゃなくて“映画”。

 

[まりりん]といえば[利理鈴(りりりん)]の僕ではあるが、元祖マリリン?はもちろん[マリリン·モンロー]ですわな。で、彼女の出演映画を全て観たわけではないが、役や演技がピッタリのこの作品。

 

1959年 監督[ビリー·ワイルダー] アメリ

お熱いのがお好き

 

禁酒法時代が舞台のラブコメディで、マフィアや女だけのジャズバンドが絡み、マイアミのホテルで繰り広げられるドタバタ。C調の[トニー·カーティス]、三の線[ジャック·レモン]のバンドマン二人がひょんなことからマフィアに追われる羽目に、追い詰められて逃げた先はなんと、女装して女ジャズバンドに。そのバンドにいたのが、玉の輿を狙って田舎から出てきたシュガー[マリリン·モンロー]だ。

とにかく面白い。ストーリー展開や脚本もよくできていて、台詞がいちいち笑える。脇役陣も丁度いい目立ち具合、でも全然邪魔ではない。

さらにこの一曲、[マリリン·モンロー]の歌う劇中歌『I wanna be love by you』だ。マリリンの代名詞的な曲で、今でもマリリンの懐かし映像のバックではこの曲が流れる。いくら有名ジャズシンガーでも、このマリリンの歌唱には勝てない。元歌は[ヘレン·ケイン]という人、人気キャラクター“ベティ·ブープ”のモデルとか。へぇー!

多くの人が指摘しているが、[マリリン·モンロー]はセックスシンボルとして“色気”を求められるが、それよりは断然“可愛気”ですよね。その両方をいかした演出、脚本の[ビリー·ワイルダー][I·A·L·ダイアモンド]はさすがだ。マリリンも良い演技で応える。

 

話はズレるが、以前[利理鈴まりりん]にウクレレを持てば?と記述したことがあったが、この映画では、遠征途中の列車内での演奏シーンで[マリリン·モンロー]はウクレレを持って歌っている。この映像が脳内で勝手にクロスオーバーして、[まりりん]=ウクレレの図式ができたのかも…と思った。

 

観て損なし、古き良きハリウッドを…

最後、オチのセリフは“救い”だ。

「Well, nobody 's perfect!」

ププッティドゥー!

 

フェイバリットまりりん⑤

さて、まりりん

 

アイドル編です。

[マリヘラス!]ではアイドル曲もよく歌われる。広くみれば半分くらいはいわゆる“アイドル”と呼ばれる人の曲ではないかな?

[松田聖子]や[中森明菜]は定番、[南野陽子][おニャン子クラブ][光GENJI][岩崎良美]等々、80年代デビュー組が中心だ。

アイドル曲は、実は難しい。馬鹿にする向きもあるが、その“拙さ”だったり“幼さ”だったりの表現はその人でしかだせない、独特な世界を形成して存在する。“ヘタさ”は強烈なインパクトでもあり、“ヘタさ”を上手くアピールする術を持つことは特殊な才能だ。音楽以外の要素も重くのしかかる。

 

[姫乃木リカ]

ニュートンの林檎』

2023年3月24日配信

 

[姫乃木リカ]は歌唱力の高いアイドルとして評価されていたらしい。大ブレークはしていないが、確かに歌は上手いし、シングル曲はかなり良い曲ばかり。

ニュートンの林檎』はB面曲で、シティポップ風の大人っぽいイメージだ。サビ部の

♪素早く落ちそうよ

のフレーズがクロマチック(半音階的)なメロディーで、音感が怪しいと外し易いかなと。[まりりん]もこれ以前の歌唱では盛大に外している(笑)。これをようやくクリアした歌唱。そして、やっぱり素晴らしい。

[まりりん]自身、[姫乃木リカ]に対する思い入れは相当あったようで、他の楽曲も数曲歌っている。完成度はそちらのほうが高いのだが、僕が勝手に思う[まりりん]らしさを感じてこの選曲に。

 

[森口博子]

水の星へ愛をこめて

2023年1月19日配信

 

なんと[ニール·セダカ]の作曲とは…僕もぎりぎりガンダム世代のはず?だが、知らなかった。良い曲。抑制を効かしスタートしサビで少しグッと上げるのだが

♪心にうずもれた

の「たー」が上がりすぎる[まりりん]、次のフレーズのコントロールを乱し気味。この日は抑えられたクールな歌唱。声量バランスが難しいが座り歌いが功を奏したか?

朗々と歌う[森口博子]の他曲のほうが[まりりん]向きかもしれないが、曲の良さはコチラ(個人的に。[ニール·セダカ]に思い入れはない)。

 

[斉藤由貴]

『MAY』

2023年11月7日配信

 

これは…難しい歌で、“演技力”みたいなものも加味されなければいけない。2コーラス目のサビ

♪だけど 好きよ 好きよ好きよ 誰よりも 好きよ

がこの曲の“キモ”で、ここをどう表現するかが聴きどころ。掠れさせるぐらいに抑え、セリフのように。それでも繊細で内省的な少女の精一杯の感情の発露…

メルヘンチックな雰囲気でフワフワと歌うだけでは何か足りない…作詞者[谷山浩子]の世界観が“深くて暗い”との解析もあり、「“MAY”って誰?」の答えがない。「鏡の中の自分」ならば、“怖い歌”とも言える。そりゃ難しいやろな。

 

今回は図らずも「ダメ出し」みたいな言い方にも聞こえて、「誰が言うてんの?」って話だが、いちファンの戯れ言。歌い手はそんな事いちいち考えなくても良くて、理屈やファンの戯れ言より、その詞、世界観を“感知”すればいい。“勘”“感性”だ。

[まりりん]は数回歌えば自分のものにできちゃう人、特殊能力者的な歌の人。

[マリヘラス!]の楽しみは、その歴史を垣間見ることもひとつだ。

“アイドル”とは「偶像、崇拝される人」とのこと…

 

[まりりん]は“アイドル”である。