時には無粋な音

[マイク·オールドフィールド]の名前は知らずとも、いまだにバラエティー番組のホラーシーンのバックに流れる音楽は聴いたことがあるでしょう。映画『エクソシスト』に使われた、彼の『チューブラー·ベルズ』というデビューアルバムの冒頭部分。ヴァージン·レコードの第一弾レコードとしても名を残す。

当時20歳くらいで大ヒットし一躍世界的名声を得たが、その前からプロとしての経歴があり、姉とのデュオ[サリアンジー]や、なんといっても[ケヴィン·エアーズ]のバンド[ザ·ホール·ワールド]が大きく、“天才少年”として知られていた。

 

『チューブラー·ベルズ』『ハージェスト·リッジ』『オマドーン』は初期三部作として評価が高く、次作『呪文』も含め四部作は[マイク·オールドフィールド]の全盛期になるのだろう。あと、映画『キリング·フィールド』の音楽も、[タレガ]『アルハンブラ宮殿の思い出』のアレンジも印象的だ。

 

音楽としては、ほとんどの楽器を自ら演奏し、オーバーダビングをして作り上げるスタイルで、アルバムを通し1~2曲で“プログレ”や“ニュー·エイジ”“ミニマル”に括られることが多い。

 

僕が推すのは、三作目『オマドーン』A面だ。

最初聴いた時、「なんか…未完成じゃない?」と感じた(未完成が悪い訳ではない)。どこがか?といえば、音が少しチープな印象と、妙なタイミングのズレ、シンコペーションとは違うズレが随所にある、なにより僕個人のワールド·ミュージック·ブームで「白人による似非エスニック色がダサい」思いが強く感じたところか。時代的に今の機材とは雲泥の差(1975年)ではあるが、差し引いてもどうもね…ほんまに「狙い通り?」

アタックの強すぎるエレキギター、ポコポコなアフリカン·パーカッション…いや、エンジニア経験もある人なので狙いは的を外さないでしょう?時間的に制約はあったかも知れない。

それでも、何故かまた聴きたくなって“違和感の正体”を探すが、見つからない。耳が慣れたか、あまり気にならなくなり焦点は曲の構成などに移る。

20分弱、不思議で呪術チックな主旋律から始まり、アコースティックギター(ブズーキ系?)でなぞるが、ここが“ズレ”ポイント…やっぱりわざと外すようにずらしているとしか思えない(そう演奏する楽器?)。グルッと場面転換し、一気に上空からの視点にパーンしたよう。ゆっくりと牧歌的な雰囲気を醸しアルプスを越え“アフリカ”へ(空想)、相変わらず“無粋”なエレキギターが導く。

主旋律がアフリカンパーカッションにのりコーラスされ徐々に登り、いつの間にかパーカッションは倍速に…コーラスはシンプルなキー音主体に変わり、無粋なエレキギターと共に“天昇”、パーカッションの余韻でA面を閉じる。

あれ?

このストーリーにどんな意味があるのか、はたまたないのかわからない。『オマドーン』という語も結局よくわからない。

ネガティブな印象だったのに、何故か分からないが涙がでるほどエモーショナルだ。

 

B面は語れない…ほとんど聴いていないから。

 

“無粋”とは書いたが、この少しの粗野具合な音が物語の“語り部”として合っていると今では気づく。

新しい機材を使いもっと精緻に再現すると想像してみても、この感動に繋がるかどうかは疑問だ。“粗い”響きも…引っかかって残るその人だけの“味”なんですね。