So What?

“「ニューヨーク、午前2時…何気なくピアノの前に立ち止まり、降りてきた旋律を…」

こんな感じでできた曲が『ネフェルティティ』だった。”

と、[ウェイン·ショーター]のインタビュー記事があった。が、曖昧な記憶なので正確ではないかも。

なんとも“カッコえー”シチュエーションですわな。

後日、夢を見た。同じようなシチュエーションで、僕がピアノの前に立ち鍵盤を押す…が、音が出ない…「あれ?」必死に鍵盤を叩くが出ない!ここで目を覚ます。

うーん…

“夢判断”では、僕の無意識は「音楽を辞めたがっている、きっかけを探している」ってことになる。そうだったかも…

 

後追いではあるが僕の中で[マイルス·デイヴィス]は“軸”だった。“ジャズ”にとどまらず、音楽全部の。

10年ごとに革命を起こし1975年頃、一時引退するまでは“超ヒップ”で、「音楽にジャンルなんてあるわけ無いだろう」と真理を吐く。

“モード”…最初は「なんのこっちゃ?」だったけど、カッコいい音だ。アルバム『カインド·オブ·ブルー』、コード進行、調性に捕らわれないインプロヴィゼーションの為の理論?ではあるが、そんなこと知らなくてもビ·バップ、ハード·バップの頃とは“音の薫り”の違いが感じられて楽しめると思う。以後のジャズは影響をほぼ避けられず、リスナーの耳も肥える。

そして“クインテット”期、スランプだった[ハービー·ハンコック]に贈ったアドバイス「バターノートを弾くな」も重要で、まあ、“バターノート”とはコードの和声の中のキーになる、厚みになる構成音とのことで、抜くことにより確かに“浮遊感”がでる。それでソリストの自由度が拡がり、バッキング陣も“踊る”。モダンジャズの究極の形が聴ける。この頃にリリースされたアルバムが『ネフェルティティ』だった。「緊張と耽美」の融合、これ以上どうする?