浸る音楽

所謂クラシック音楽を日常的に聴くことはないけど、一時は凝っていた時期があった。有名曲を押さえた程度にだったが、クラシックに対するある種のコンプレックスはほぼなくなった。

西洋的エモーションに胸が熱くなったり、テクニックの極致でトリップさせられたり、指揮者、オーケストラの違いによる解釈の差の面白さ等々、『レコード芸術』なんかを読みながら“勉強”してる感覚が強かったかな。

その流れで現代音楽、実験音楽の世界に没入したが、結果「よ~わからん!」のよ、前衛は。楽理なんて知ろうともせず、おのれの感性で勝負だと決め込んでいたので、「セリーだ」「変拍子だ」「トーンクラスターだ」「ミニマルだ」知ったかぶりしていた。

フリージャズや、クラブ系じゃない実験テクノ?エレクトロ等々にも触手を伸ばして…

「こんな音楽があるのか!?」

「なんて自由なんだ!」

未知の世界が広がることに酔っていた。

 

わからない、けど、浸るのは好きだった!音カオス!

 

前衛的、実験的な音楽との曖昧な付き合いは決定的な出逢いをもたらす…

エリック·サティ

[家具の音楽]という発想がその後の音楽の聴き方をガラッと変えた。

ジムノペディ』『グノシエンヌ』『おまえが欲しい』等、超有名曲の作曲家。

後の[BGM]や[アンビエント]などに繋がる、聴かれることを意識しない音楽の祖であるが、その音楽はとても美しい!

今でもあらゆる場面で耳にする。

僕にとっては❮音楽最高神❯のひとり。

 

 

現代音楽つながり、アメリカの作曲家、チャールズ·アイヴスの言葉にも撃たれた…

「指が10本しかないのは作曲家のせいではない」

無意識な制限を止め自由に創造せよ、との意と理解したが、自由とは…ホントに難しい!