春は、あけぼの

風俗の仕事をしている人と“おつきあい”していた。今、ウチで同居の猫はその人の仲介です。

出逢いは“嬢”と“客”としてからだが、“なじみ”になり、店を通さず会うように…ご法度である。本名を知り、個人用のアドレスを教えてもらい、食事をともにし、彼女の娘さんの結婚式に招待されたり(欠席した)と、まあ、普通に交際関係と言えますわな。

昼間は営業の仕事をし、夜の風俗バイトをこなす、子供二人のシングルマザーだったが、ほとんどしんどい顔を見せたことがない、しんどい時もあったろうに。たまに「疲れてるんじゃない?」と指摘すると「疲れているように見えるようではダメ」と自分を責める。

 

“娼婦”や“風俗嬢”などの「春をひさぐ」職を蔑視するムキもあるが、なぜ需要は尽きないのでしょう?

陰と陽、情念の深い川に溺れる。

 

♪時には娼婦のように 淫らな女になりな

 

娼婦だけが淫らなのではない、ひとは皆、男も女も“淫ら”なのだ。

 

 

「遊びをせんとや 生まれけん

 戯れせんとや 生まれけん」

梁塵秘抄』に記された今様のひとつ。

 

梁塵秘抄』とは、平安時代の歌謡曲(今様)を後白河法皇が編纂したもの(日本初の歌詞集?残念ながら旋律は不明)、とのことだが、歌ったのは“遊女”や“白拍子”(男舞)や“遊行巫女”や“傀儡子(くぐつ、旅芸人)”だった。彼女らは遊女も兼ねていたらしく、その歌唱は「声わざ」と呼ばれ聴く人の心を蕩(とろ)かした。

妖艶かつシャーマニックな“声わざ”とは?

 

[桃山晴衣]『梁塵秘抄 うたものがたり』というアルバムが[中村とうよう]のプロデュースであるが、正直「こんな感じ」かどうかはわからない。[ハムザ·エル·ディーン]のウードも入っていたりして「“梁塵秘抄”で遊びました~」ってところか…真剣に遊ぶ。([桃山晴衣]は“梁塵秘抄”研究や日本古典声楽の第一人者)

 

「遊びをせんとや…」は、子供の遊びの様子を描写しつつ、人生を通して“遊ぶ”事こそ本来では…との意訳される。

 

 

仕事にウェイトを起きがちな思考を少しズラし、もっといえば、「仕事も遊び」と捉えられたら、“遊女”“娼婦”など含む弱者への固い見えかたが違ってくるかも。視野を拡げ、包容力や胆力を身につけてこそ“大人”な気がする。

 

「あなたが居るのはなぜ?」

「両親が“淫ら”だったから!?」

 

色は思案の外…