芸人賛歌

大阪の日本橋近辺に住んでいたことがある、国立文楽劇場の近く。オタクエリアとは違う様相で、文楽劇場の裏、北側はラブホテルが乱立し一大風俗タウンになっている。“嬢”との待ち合わせか、男が煙草を咥え、夜の川面を見るともなしに目だけをキョロつかせている。橋を渡ると“島之内”と呼ばれるエリア、昔は船場と並ぶ問屋街で遊里もあったとか、繁華街“ミナミ”とはこの辺りのことだったらしい。

その手前長屋が一棟だけ残っていて、そこから太竿三味線だろうか、練習する音が漏れ聴こえ「風流やなぁ」なんて思っていた。

文楽劇場が近くにありながら観劇したことはない。能、狂言、歌舞伎も劇場で観ていない。もったいない気もするが、どうも敷居が高いのか、格式ばって客を遠ざけてやいないかとも感じる。

数年前、大阪市文楽協会への補助金を打ち切るとぶち上げた際の文楽協会の狼狽えぶりは悲しい。

どのくらいの団体が、どんな名目で補助金を受領しているのか明るくないが、その決定がなされた時点でもう“死に体”ではないかって気もする。

「文化だ」「芸術だ」と権威を振りかざし、庶民の理解を無視した面白くない筋立てを磨くことに腐心した結果、集まるのはスノッブな贔屓だけ。そのうえにあぐらをかき客を呼べず、挙げ句のはてに「補助して」では同情しにくい、と言うのは厳し過ぎるのか…伝統芸能生活保護化。

 

芸能が、権力者の庇護ありきから大衆の娯楽になってビジネスとしての側面が際立つ、マネージメントやプロデュースが重さを持つようになる。お笑いだけじゃなく歌舞音曲、役者ら全ての芸の人、“芸人”は売れてこそ存在するようになる。芸の魅力以外の部分のパーソナルなオーラ、存在感。

芸能、芸人は人の気を引く能力があったほうがいいのだろう。

でも、不器用な実力者もいる。アピールが下手でもその芸事が好きならばやり続けるだけだ。補助ありでもなしでも。

 

♪夢は捨てたと いわないで

 ほかにあてなき ふたりなのに

 ほかに道なき ふたりなのに